これからは器の時代

゛許容量が器の大きさが力を持つ゛と良く言うのですが何でか書いてみようか。
これは特に日本だからというのもある。

枠にはめようとするらしく、たとえば単にタイプの違いを病気扱いしたりはじいたりしますよね?
その結果、うつ病と自殺者が多くなってる。異端をはじく程に居心地は悪くなるから。
(海外旅行とか良いですよ。見えるものがあるから。例えばスペインには人身事故などないからね。)

これを踏まえれば求められるのは、器と許容量がある人達だとおもうんですよ。

ここで問題なのが、本来それを提供するはずの人達が器や許容量がかなり小さい。
一般人の3分の1位じゃないかな。
周りも持ち上げるし、成功したいと叩き上げてきたからというのもある。
叩き上げというのは自身の叩き下げでもあるので、成功の代わりに小さくなってしまった。

そういう人達に習いにいくと、社会より空気を読んだり崇めたりとなってしまう。
主催者を満たす会となってる。


ただおもしろいんですけど、どうもそういう人達には器を広げられるイベントが起きてる。

例えば批判的な記事をかかれたりとか。
失礼なコメントされたり会ったり。
ブログ見てても葛藤してるなとわかる。
あれだけ能力があっても器を広げるのは大変なんだと見えたりもして。
能力じゃないんだなと思ったり。